松田 直樹の命日 彼が残したモノとは・・

松田 直樹を日本代表史上最高のDFだと言うものは多い 8月4日は彼の命日・・

彼は小学生の時、兄の影響でサッカーを始め中学ではFWであったが当時U-15日本代表の監督であったが小嶺が当時の前橋育英高等学校監督にいいDFがいないかを相談した時、当時中学三年生でFWであった松田のDFとしての資質を推薦したのをきっかけに、DF人生が始まる。

U-15日本代表のメンバーに選出され、小嶺忠敏監督のもとでDFとして指導を受け、前橋育英高校へ進学。U-17世界選手権メンバー、その後U-19代表に選出。そしてJの全12クラブのうち10クラブからオファーがあり、現横浜F・マリノスに加入。

U-16日本代表に招集されて以来、各世代の日本代表に選出。

アトランタオリンピックではマイアミの奇跡を経験

日本代表にも選出され特にトルシエの重宝され俗にいうフラット3と呼ばれる3バックの一角としてプレー。 国際Aマッチ通算40試合出場。

クラブは横浜Fマリノスで活躍。主にDFであったが守備的MFでも活躍しDFから守備的MFへのコンバートのハシリであった。元々FWで足元の技術もあり鋭いインターセプトからの推進力は迫力充分であった。

その後怪我の影響もあり出場機会が減少し戦力外通告を受けミスターマリノスはマリノスで現役を終えると約束したサポーターへ 「マジでサッカー好きなんすよ。マジでもっとサッカーやりたい。本当にサッカーって最高な所を見せたいのでこれからも続けさせてください。」という有名な言葉を残し退団。そして当時JFLの松本山雅に入団しサッカーの情熱をプレーで表現していた最中、チームの練習中に急性心筋梗塞で倒れ帰らぬ人となった・・

この事故を機にAEDの設置がサッカーのみならず色々なスポーツに義務付けられたのである。

松田が残したのはサッカーを愛しクラブを愛しサポーターを愛した一途な情熱

マリノスと松本山雅のサポーターの中には今でもあの笑顔が焼き付いている

そして松田とプレーした選手やスタッフは多大な影響を受け今もJリーグを盛り上げている

松田の早すぎる死は私たちに悲しみを与えたが・・

松田はサッカーを愛する者全てにそれ以上のモノを与えてくれたのである

選手・サポーター・クラブ・代表の関係は尊いものであり・・

人に感動と喜びを与えるモノであることを・・

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